« 富岳四十一京 | トップページ | NかMか »

2020年6月27日 (土)

なぜノーベル化学賞をとれたのか


 512cvncqr7l_sx353_bo1204203200_

https://www.amazon.co.jp/dp/4774140597/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

 コロナ騒ぎで業務を縮小していた図書館もほぼ旧に戻ったので早速一冊借りてみた。「ノーベル賞の科学ーなぜ彼らはノーベル賞を取れたのか-化学賞編」(写真一枚目、矢沢サイエンスオフィス編著 2010年)である。この本はシリーズ物で、物理学賞編、生理学医学賞編、経済学賞編は既に出版されているらしい。

 
 一般論としては、化学は退屈な分野であり、化学賞の受賞者には物理学賞や生理学医学賞のような華々しい、マスコミ受けするような人があまり居らず、人々が忘れがちであると本書はしている。正直、ウサギさんも日本人が沢山化学賞を受賞して居られるが、どなたが何をされたか頭は混乱している。
 
 ウィキペデイアによれば、日本人のノーベル賞受賞者は、物理学賞9人、化学賞8人、生理学医学賞5人、文学賞2人、平和賞1人の計25人であり、ほかに日本人だが外国籍の人が、物理学賞で2人(南部洋一郎氏、中村修二氏)、文学賞で1人(カズオ・イシグロ氏)おられるそうだ。
 
 本書では、2008年から遡る約30年間の化学賞受賞者から、主な20人を選んで一般の人にも分かりやすく紹介している。その中に登場する5人の日本人にスポットを当ててみる。

 450pxshimomura_osamu_12

https://ja.wikipedia.org/wiki/下村脩

 最初は下村侑氏(写真二枚目、1928-2018)。「緑色蛍光蛋白質(GFP)の発見と開発」で2008年の化学賞受賞。GFPは顕微鏡の発明以来といわれる革命的なツールでトレーサーに使われた。今や、がんの転移などタンパク質がかかわるあらゆる生命科学の研究に欠かせないと。

 
 1951年長崎大薬学部を卒業し、修士課程でウミホタルの発光物質の抽出に成功したが、プリンストン大学のジョンソン教授がこれに注目し、1960年下村氏を招聘する。そこで与えられたテーマは、オワンクラゲの緑色発光物質の研究。家族全員でクラゲをとり、1日に3000匹、10年で10トンのクラゲを集めたという。
 
 1974年ついに発光の仕組みを解明した。1987年、別の研究者により、GFPのトレーサーとしての応用法が発見され、1994年には緑色以外の色にも発展し、いわばモノクロからカラー化が進んで、その応用が爆発的に進んだという。

Koichi_tanaka_2003  

https://ja.wikipedia.org/wiki/田中耕一

 二人目は田中耕一氏(写真三枚目、1959-)。2002年、「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」で化学賞受賞。平たく言えば、タンパク質の質量を計ったのである。タンパク質は、アミノ酸の数と配列が違うので、その質量は微妙に異なる。従って、タンパク質の種類を特定するのには質量の測定が重要だが、質量は1/1億ー1000億グラムしかない。

 
 質量分析はまず資料を高電圧下の真空中でイオン化し、生成されたイオンを質量に応じて分離してそれぞれの質量を検出する。ところが、かってはイオン化できるのは無機質に限られ、タンパク質は無理であった。だが、田中氏は島津製作所での先輩のアイデアで、添加物を加えてレーザー照射することを日夜実験していたが、ある日、誤って添加物に選んだコバルトの粉末にグリセリンを垂らしてしまった。本来捨てるべきものだが、どうせ捨てるならと添加物に使ってみると、意外にもタンパク質はイオン化されたのだ。
 

 ところで、田中氏はノーベル化学賞受賞者のなかでも稀有の人らしい。東北大学電気工学科の卒業だが、博士でも修士でもない学士は歴史上田中氏が初とか。43歳の無名のサラリーマンでもあり、化学が専攻でなかったことも、色々な化学関係者からの受賞後の講演依頼で困ったらしい。「私は化学が不得意?なノーベル化学賞受賞者なのです!」

450pxrioji_noyori

https://ja.wikipedia.org/wiki/野依良治

 三人目は野依良治氏(写真四枚目、1938-)。2001年、「キラル触媒による不斉反応の研究」で化学賞受賞。平たく言えば、ロジウムやルテニウムなどを触媒として、効率よく化学化合物を生成する技術。

 灘高・京大・名古屋大・ハーバード大を経て名古屋大に戻り、定年後は理化学研究所理事長。2007年の天皇皇后両陛下の欧州視察では首席随員を務めるなど、エリートコースを歩んで、本書のネタになるような面白いエピソードは特にない。ただ、理研時代には、STAP細胞事件で大いに泡を食ったらしい。

 「事実は真実の敵」という変わったモットーが持論とか。「事実は事実として尊重するが、事実は限定的であり、その裏に潜む偉大な真実を見逃してしまう」

A_20200627110001

www.nikkei-science.com/page/magazine/0012/SHIRAKAWA.html

 四人目は白川英樹氏(写真五枚目、1936-)で、2000年に「導電性高分子の発見と発展」で化学賞受賞。驚いたことに絶縁体の筈のプラスチックに電気が流れたのだ。

 1966年、白川氏が東工大の助手の時、韓国からの留学生が、ポリアセチレンを造る際に触媒の量を間違えたのが大発見の糸口とか。

 導電性ポリマーはいまでは電池・コンデンサー・発光ダイオード・有機ELテレビ・電子ペーパーなどへの応用が広く進んでいる。吉野彰氏がリチウムイオン2次電池の負極に、ポリアセチレン使ったのでも有名になった。

 ただ、受賞時に白川氏は筑波大学を定年で辞めたばかりで、悠々自適の生活が乱されるので、受賞辞退も考えたらしい。同じ受賞者でも、野依氏とは受けるイメージがだいぶ違うのに驚く。

Swra_20200627110101

https://www.sankei.com/life/news/191209/lif1912090027-n1.html

 五人目は福井謙一氏(写真六枚目、1918-98)で1980年「化学反応過程の理論的研究」で化学賞受賞。戦前、京大の工業化学科で学んだが、化学とは所詮電子の科学であるとして、量子力学などの物理や理論化学に興味を示した。

 フロンティア軌道理論を提唱。化学反応のさい、一方の持つ最高エネルギーの軌道電子が、他方の分子が持つ電子の存在しない最低エネルギーの軌道に入ると予言した。

450pxnobel_prize_2010press_conference_kv

https://ja.wikipedia.org/wiki/根岸英一

Zsa

www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20180925011190002.html

 本書には載っていないが、2010年に「クロスカップリングの開発」で化学賞を受賞したのが、根岸英一氏(写真七枚目、1935-)と鈴木章氏(写真八枚目、1930-)。芳香族化合物の炭素同士を触媒で効率よくつなげる。

500pxakira_yoshino_cropped_2_akira_yoshi

https://ja.wikipedia.org/wiki/吉野彰

 同じく本書には触れられていないが写真九枚目の吉野彰氏((1948-)は、「リチウムイオン二次電池の開発」で2019年の化学賞受賞。

 

« 富岳四十一京 | トップページ | NかMか »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 富岳四十一京 | トップページ | NかMか »

無料ブログはココログ
2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31