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2017年3月19日 (日)

信州佐久平みち

Uedas
 
https://www.e-aircon.jp/area/Nagano/ueda-s.html
 
 今日の街道をゆくは、「信州佐久平みち」。司馬の知人が佐久の病院に入院していて、その見舞いで訪問したもの。その知人も大阪から佐久へはどう行けば良いのか悩んだと言う。それほど信州は関西から意識の上でも遠い所らしい。ウサギさんの若い頃のスキー場の会話の記憶でも、長野は妙高・赤倉あたりまで北上して、やっと関西弁が増えてくる感じだった。
 
 司馬も長野県に足を入れたのは初めて。新幹線で名古屋に出て、中央西線に乗り換え、長野駅からタクシーで上田に来ている。訪問した時期は、文中でははっきりしないが、長野新幹線開通の前であり、勿論、NHK大河ドラマ真田ブームのずっと前でもある。
 
 ところで、信濃には、科(級)など「しな」が付く地名が実に多い。蓼科、更級、埴科などで、信濃国も科野国と書かれたと。この「しな」は元来何を意味したかは、諸説あって不明だそうだが、司馬は「山の斜面」と推定。
Xse
 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E7%94%B0%E5%9F%8E
 
 千曲川の流域には、善光寺平とか上田平とか、多くの盆地があり、各盆地ごとに気風や経済が違うと言う。上田盆地は、ご承知のように、真田の六文銭文化で象徴される。戦国時代に上田城(写真2枚目)を築いた真田氏は、江戸時代の初期の40年間ほど上田に居ただけで、その実力を恐れた幕府により、北方の松代に移封されている。
 
 その後、仙石氏・松平氏が上田城主となったが、現在の上田市はあくまで真田六文銭の町である。なお、松代城址はおサルさんと訪問したことがあり、2015.9.15の本ブログ「松代大本営」で書いている。 
C0060927_22441743
 
http://natsuhome.exblog.jp/7349888/
 
 上田の西10kmの山中に別所温泉(写真3枚目)があり、司馬一行はここに泊まった。実は、ウサギさんが学生のころ、上田北方の菅平スキー場に行ったとき、間違えて別所温泉に予約したが、立派な温泉宿で、無銭に近い我々は冷や冷やした記憶がある。
 
 司馬が千曲川を上って、小諸まできたとき、藤村を思って詩情が沸いたが、懐古園という公園では、大音響が鳴って全く風情がない。食堂でも、ぶすっとした女店員に適当にあしらわれて散々であった。佐久の病院の屋上から見た千曲川の方が、小諸の古城のほとりより、よっぽど藤村の詩を鮮やかに想起できたと。
 
 佐久平は、一遍上人の踊り念仏が有名であり、NHKスペシャルではそれを実演してくれた。また、佐久と言えば、ウサギさんがまだ現役の頃、縁あって佐久の地酒の「初鶯」を、度々楽しめたことを思い出した。それにしても、テーマは「佐久平のみち」なのに、司馬の佐久平の記述は少なく、どうみても「千曲川みち」であろうか。

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