« アメリカ大統領を辞めさせる方法 | トップページ | 中津・宇佐のみち »

2017年1月16日 (月)

阿波紀行

  • 36tokushima
  • http://www.rurubu.com/pref/index.aspx?KenCD=36
  •  
     今日の街道をゆくは「阿波紀行」。司馬は1988年、阿波(徳島県、上図)を訪問している。淡路島から大鳴門橋をわたり、6時間ごとの潮の干満で起こる鳴門の渦潮(写真2枚目)を鑑賞した。
  • Imageskabgvy8y
  • http://www.rental-car.jp/tokushima/
 鳴門のあたりは、入り江が入り組んだ静かな浦で、地元では「ウチノ海」と呼ばれるらしい。堂浦漁港は、かって中国の特殊な蚕からとれる釣り糸のテグスの発明で名が知られるそうだ。鳴門市の西の山中には、ドイツ村がある。第一次世界大戦で青島で捕虜となったドイツ兵4千人のうち、約千人が収容されていたと。また、鳴門市は四国への入口だから、四国八十八か所お遍路の第一番札所、霊山寺がある。
H25awaodoriposterthumbnail2
https://www.awanavi.jp/docs/2013031100753/
 
 司馬によれば、京都弁のルーツは阿波とされるほど、阿波と京都は歴史的に深い関係があると言う。室町時代の京都の管領細川氏は、阿波・讃岐・淡路を領していた。その後、下剋上で細川氏に代わった三好・松永の両豪族は阿波在であり、阿波による京都支配は200年以上も続いたらしい。その間、京都と阿波のあいだには、頻繁な人の行き来があった。有名な阿波おどり(写真3枚目)は、京都の「ふりゅう」という戦国時代の踊りが元祖とか。
Photo
https://www.awanavi.jp/docs/2013031100753/
 
 ところで、日本の三大暴れ川を、「坂東太郎」、「筑紫次郎」、「四国三郎」と呼ぶらしい。この四国三郎は、吉野川のことである。徳島県を西から東に流れる大河で、北方は讃岐山脈、南方は四国山脈に挟まれ、鳴門の南の河口に、徳島市が位置する。現在の徳島市に徳島の名を付け城を築いたのは、蜂須賀小六の子、蜂須賀家政である。秀吉の四国攻めで長曾我部氏が土佐へ追われ、その後に阿波一国を封じられた。家政は、阿波に藍を商品として導入し、明治になって化学品に負けるまで、藍染は藍住などの吉野川デルタ地帯が独占した。阿波徳島藩は、淡路合わせて表高25万石だったが、藍のお蔭で実質45万石を誇ったと言う。
 
 長大な六条大橋(写真4枚目)を超えて、吉野川を上流に進むと、白壁や土蔵造りの家並みが見事な脇町に出る。更に西へ入ると、もう高知・香川・愛媛県境に近い山中の池田町である。高校野球で全国に名を馳せた。吉野川を池田で直角に南に曲がって20kmほどで、平家の落ち武者の村、祖谷(いや)に至る。小歩危・大歩危や吊り橋の「かづら橋」などで知られ、トラさんが子供のころ、大ウサギさんに連れて行って貰った筈である。

« アメリカ大統領を辞めさせる方法 | トップページ | 中津・宇佐のみち »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 阿波紀行:

« アメリカ大統領を辞めさせる方法 | トップページ | 中津・宇佐のみち »

無料ブログはココログ
2019年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30