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2017年1月19日 (木)

中津・宇佐のみち

Map_nakatsu
http://www.k-travel.net/oita/area/nakatsu.html
 
 今日の街道をゆくは「中津・宇佐のみち」。最初、タイトルを見て、中津・宇佐とはどこかピンと来なかった。関東に長く住んで、世の中を知らないせいもあろう。だが、読んでいくうちに、歴史的に有名な地名として思い出した。つまり、大分県北部の福岡県との境で、周防灘に面した豊前のあたりである(上図)。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E4%BD%90%E7%A5%9E%E5%AE%AE
 
 宇佐神社(写真2枚目)は、全国4万社あるという八幡神社の総元締めである。女性の神官が京都などへ、神託を出すので著名で、奈良時代に怪僧道鏡が、贋の神託を出したとかで有名になったそうだ。八幡神は、元来、朝鮮渡来の秦氏の神だったが、頼朝が鎌倉に鶴ケ岡八幡宮を建設するなど、日本を守る武の神になり、天満、八坂、稲荷などを押さえて日本最大の社数を誇ると。
 
 宇佐の西、20kmほどのところの中津市に、宇佐神社のさらに元になった、薦(こも)神社があり、司馬は最初に訪問している。ご神体は三角池という珍しく池であり、ここに自生する「まこも」で作られる枕が、宇佐神社のご神体とか。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%B4%A5%E5%9F%8E
 
 中津城(写真3枚目)は、黒田如水(官兵衛)の居城である。秀吉の軍師として華々しく活躍した如水は、九州攻めの褒賞として、僅か12万石の中津を貰ったが、不平は漏らさなかったと言う。しかも、ここでは豊前の地侍の執拗な抵抗に会い、陰惨な手を使うなど大いに苦戦している。
 
 関ヶ原の戦いでは、如水の子の黒田長政が家康のために献身的に働いたが、如水は地元の中津で傭兵7千で兵を上げ、近隣の50万石ほどの領地を占領した。九州勢を集めて京都に上り、天下を伺おうとしたが、関ヶ原は一日で決着がつき、如水の野望は絶たれた。
 
 戦後、家康はこの如水の動きを知らぬ顔で過ごし、長政に筑前福岡52万石を与えた。如水は、家康に野望を見抜かれたと察し、さっさと福岡城内で隠居し、その後は仙人のように暮らしたと言う。
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http://nakatsu34.junglekouen.com/e833288.html
 
 ところで、この人口8万人の中津市のホテル屋上に銅像が立っている(写真4枚目)。これは、中津出身の福沢諭吉(1835-1901)である。特に銅像を建てる場所に決まりはないが、屋上とは目立つ所で、流石の諭吉さんもびっくりであろう。
 
 諭吉は、中津藩の廻米方(コメを現金化する)の小役人の家に生まれた。21歳で長崎へ出て蘭学を学び、大坂の緒方洪庵塾を経て、27歳のとき咸臨丸でアメリカへ行き、29歳で幕府の遣欧使節団で渡欧した。その後、江戸の鉄砲洲に学塾を起こしている。38歳で島原藩の三田屋敷1万4千坪を借用し、これが慶応義塾の基礎になったと言う。
 
 なお、中津の西の福岡県境を大きな山國川が流れる。山國大橋を渡ると、吉富の地で綺麗な川の水を薬に使った吉富製薬が有名とか。この山國川を西南に20kmほど遡れば、観光地の耶馬渓がある。
 

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