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2016年9月28日 (水)

嵯峨散歩

Trivia_361
 
http://www.arkant.jp/trivia/trivia_v36.html
 
 今日の街道をゆくは「嵯峨散歩」。嵯峨は嵯峨野とも言われる京都の西の郊外地である。ウイキペデイアによれば、太秦の西、桂川の北、小倉山の東、愛宕山麓の南に囲まれた広い地域を言うと。観光地風に言えば、嵐山・渡月橋(写真)と桂川対岸の社寺群ということになろう。なお、ウサギさんは、2001年におサルさんと、嵯峨野の天竜寺・大覚寺を訪問している。
 
 司馬は1984年に嵐山の北西60kmの山中にある水尾から、嵯峨散歩を始めた。桂川の上流を保津川と呼ぶが、水尾は保津川の相当上流の支流沿いの深い渓谷の集落。平安初期の清和天皇は27歳でその位を子に譲り、僧となって水尾に隠れて31歳で没した。村人はその死を悲しみ、社を建てて以後1100年間護持して来たと。
 
 ところが、その後、清和天皇のひ孫の源満仲が、強力な武士団の棟梁となったので、その遥かな後裔である源氏が清和源氏を称して、一躍清和天皇の名が広く知られるようになった。ただ、頼朝のみでなく、後に家康までが清和源氏を称したが、この水尾の社の存在を彼らは知らず、寄進が一切なかったと言う。
 
 嵯峨野は、古来、太秦を根拠としていた豪族の秦氏によって開発が進められたとされている。秦氏一族は、紀元4.5世紀ころ、朝鮮半島から大挙日本に渡来して、農業および土木などの指導をしたと言う。伏見稲荷、ひいては日本のお稲荷さんを造ったのも、この秦氏である。800年頃の畿内の氏族は約1900あって、このうち30%は渡来人だったと。
 
 土木工事で忘れてならないのが、角倉了以(1554-1614)である。私費をもって、保津川の岩を砕いて、この川に初めて舟を通し、丹波の木材を京都に運んだ。角倉は京都から伏見まで、高瀬川を掘ったのでも有名である。嵐山の一峰にある大悲閣には彼の木像があるそうだ。
 
 桂川の北岸にある天竜寺は、尊氏を推進者として、夢窓礎石(1275-1351)の開山である。元への天竜寺船を出して、その貿易の利益で天竜寺の建築費を賄ったと言うから、室町時代にもなかなかの経済通がいたようだ。
 
 一方、天竜寺の東方にある車折(くるまざき)神社は、商人や遊芸の師匠たちの信仰が篤いので有名らしい。特に「つけ」や「かけ」で売る場合の回収の神様であるのが面白い。タカラヅカの人々の神様でもあると。

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