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2016年9月21日 (水)

ポルトガル・人と海

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 今日の街道をゆくは、「ポルトガル・人と海」である。これで「南蛮のみち」三部作は終わり。なお、ご承知のように、「南蛮」はポルトガル・スペインを言い、「紅毛」はオランダ・イギリスを意味した。
 司馬はマドリードから、リスボン特急に乗ってポルトガルへ向かった。列車は立派な名を貰っているが、僅か2両編成のディーゼルで、日本のローカル線並みらしい。スペインの景色は相変わらずの乾燥地帯だが、ポルトガルに入ってから、流石に牧草地が現れた。
 ポルトガルの国土は九州の2倍、人口は九州程度の小国だが、13世紀ころ英国の助けを借りて、スペインより早くイスラム勢力の駆逐に成功した。15-16世紀の大航海時代には、スペインに先駆けて、世界進出を果たし、日本の種子島にも最初に来た。続く、宣教師ザヴィエルもポルトガルの支援で来日している。
 ゴア・セイロン・マラッカ・マカオなどアジアの貿易拠点を次々に押さえ、アフリカのアンゴラ・モザンビーク、ブラジルなどを植民地化した。香辛料などによる莫大な富を象徴するのが、上の写真のリスボンにある壮大なジェロニモス修道院。特に、ヴァスコ・ダ・ガマが持ち帰った富で、1511年に建てられ、1755年のリスボン大地震にも珍しく耐えた建物だと言う。
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 ところで、この紀行にはエンリケ航海王子(1394-1460)という人の名がほうぼうに登場する。いわば、ポルトガルの海外制覇のプロモーター兼大パトロンである。上の写真は、これもリスボンにある有名な「発見のモニュメント」だが、船の先頭に立つ人がエンリケ王子その人。
 司馬一行は、リスボンから南に向かい、サグレス岬を目指したが、ポルトガルを東から西に流れて、リスボンで海に注ぐテ-ジョ川は、ポルトガルを気候的に南北に分けると言う。つまり、北側は豊かな農業地帯で工業も盛んだが、南側は乾燥地帯で人口も過疎とか。
 南部のここいらは、コルクガシの樹がやたらに多い。コルク栓のコルクを採る樹で、ポルトガルは世界の半分以上のコルクを生産するとか。西南端のサグレスは、まさに「大陸の果つるところ、大海の始まるところ」である。エンリケ王子の航海学校や自身の邸もここにあったらしい。
 さしものポルトガル海上帝国も、ポルトガルの体力では維持できず、次第にオランダ・イギリスなどに覇権を奪われた。だが、ポルトガル語は、現在世界で1億人近くも広く使われている。中でも人数ではブラジルが大いに貢献した。
 
 日本語でも、ベランダ・メリヤス・ビロード・ボタン・ラシャ・マント・キャラコ・サラサ・カッパ・オルガン・キセル・コンペート・ボーロ・カルメラなどは皆、ポルトガル語起源だそうだ。僅かな期間の南蛮貿易やカトリック布教でも、言葉など文化の影響は長く残るものだとつくづく思う。

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