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2016年7月13日 (水)

砂鉄のみち

078
 
http://www.v-museum.pref.shimane.jp/mingu100/tools/78.html
 
 今日の街道をゆくは「砂鉄のみち」。砂鉄は明治時代まで、主として中国地方などで作られていた和鋼で、司馬はその足跡を求めて、中国山地の奥地まで訪問している。米子空港から始まり、安来・横田・吉田(島根県)、加茂・津山(岡山県)など。途中、皆生温泉に泊まっているが、2011年におサルさんと山陰を旅したのが懐かしい。
 
 日本に鉄器が入ったのは、やっと弥生時代からで、鉄の生産が始まったのは古墳時代とか。中国より実に1500年の遅れで、朝鮮から渡来した技術者集団が中国山地などで鉄を盛んに造ったらしい。特に中国地方は山中に良質な山砂鉄を産したという。
 
 酸化鉄である砂鉄を、高温の木炭の上に撒くことを、何層にも繰り返し、還元してケラを得、更に鍛鉄にして農具などを作る。高温を維持するために、風通しの良い尾根などに製鉄所は作られた。江戸時代になると、ふいご(写真、たたら)が発明され、二人の番子が交代で4昼夜風を真中の炉に送ったらしい。その高温のお蔭で、鉄が湯のように熔けて、様々な形態を可能とする鋳物が誕生した。なお、番子は「代わりばんこ」の語源とか。
 
 コークスを使う現在の鉄鉱石製鉄法と違って、過去の砂鉄の問題点は、異常に大量の熱源の木炭が必要だったこと。ちょっと、鉄を作ると一山の山林が丸坊主になったと言う。特に砂鉄製鉄のスタートが早かった朝鮮の山が未だに禿山なのは、オンドルのせいもあるが、やはり、製鉄のためと司馬は考える。ただ、日本は特に多雨で緑の快復が早く幸いしたと言う。
 
 司馬が韓国の農村を訪問したとき、農具として鍬一本しかないのに驚いたと。日本では江戸末期でも、鋤、鍬などを豊富に持ち、タケノコ掘りまであったらしい。また、大工や馬借などの運送業者なども、豊富な鉄具を使っていた。この鉄の持続的な供給を可能にした日本の豊かな山林が、明治以降のアジア初の近代化成功のもとだと司馬は力説する。
 
 司馬は、特に古代の砂鉄の遺跡を求めて歩くが、ほとんど遺物はおろか記録さえも残っていないらしい。突然、山地に集団で出現し、木がなくなると移動して去る砂鉄の大集団は、地元の農民と交わることはなかった模様。そのせいではあるまいが、NHKのDVD19巻のどこにもこの章のタイトルは見えない。
 

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