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2016年7月15日 (金)

豊後・日田街道

Tyoujyabaru03
 
http://oita.jp-o.net/kokonoe/tyoujyabaru/tyoujyabaru.htm
 
 今日の街道をゆくは「豊後・日田街道」。豊後は大分県であり、日田は大分県の西端の高原の町のこと。なお、「日田街道」は司馬独自の命名による街道。一行は、1978年、大分空港に降り立つ。空港のある国東半島は、下が岩盤なので井戸を掘っても水が出ず、集落ができないので、まだ太古の自然が残っていると言う。いわば、日本の秘境の一つである。2015.12.15の本ブログで紹介した、小野正嗣著「残された者たち」の舞台でもある。
 
 別府湾に沿って、杵築から日出(ひじ)に出た。日出は、秀吉の妻である北政所の縁者の木下氏の城下町(2万5千石)。白壁に本瓦の商家が軒並みに残っているそうだ。更に別府に出て、東山魁夷が好きそうな杉山のなかを、由(湯)布院に向かう。由布というのは、木綿(ゆふ)のことだと言う。木綿は今のもめんではなく、木の皮から取り出した繊維のこととか。
 
 ところで、別府や由布院を観光地として有名にした功労者に、油屋熊八(1863-1935)という人がいたそうだ。宇和島の人で、大阪のコメ相場で大儲けしたが、日清戦争後の相場で大失敗して、アメリカに渡りキリスト教の洗礼を受けた。帰国後、妻のつてを頼って別府での再起を図る。「旅人を懇ろにせよ」との聖書の言葉を守り、亀の井旅館やバス会社を創業。日本初の女性バスガイドや、手のひらの大きさを競う大会などの奇抜なアイデアで、別府と由布院の全国PRを自費で務めたと言う。
 
 由布院では不思議な宿に泊まる。古い農家などを集めて客室にしたもので、雪の結晶の研究で有名な中谷宇吉郎博士の甥御さんの経営とか。更に、由布院から西へ向かい、長者原(ちょうじゃばる、写真)に至る。火山の久住山の麓の広壮な高原であり、ここは高燥寒冷のため開拓団がなんども失敗したところとか。
 
 もう、福岡県との境近くに日田(ひた)の町がある。ここは、3万2千石の幕府天領で、僻地ながら、江戸時代には漢学が盛んで、広瀬淡窓の咸宜園の門人は3000人と言われたそうだ。天領は年貢が軽いため、農民は豊かな生活が送れ、立派な百姓屋敷も多いと。天領は、奈良、倉敷、甲府などにも見られる。
 
 日田の宿では、趣向として夕食は船上で摂り、鵜飼いを見物した。中国南部から渡来したと言われる鵜飼いだが、日田の鵜飼いは長良川より古い歴史があるそうだ。面白いことに、鵜の鳥の世界でも厳然とした年功序列があって、若鳥がもし順序を間違えると大騒動になるそうだ。鵜に関することわざが多いことから、意外に鵜が日本人の生活に過去密着していて、年功序列も鵜から来たのではと、司馬は冗談半分で書いている--まさかね。

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