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2016年6月29日 (水)

甲賀と伊賀のみち

Shiro
 
http://www.e-net.or.jp/user/iga-7/kankou/uenokouen/shiro/
 
 今日の街道をゆくは「甲賀と伊賀のみち」。両地とも忍者の里で、甲賀は滋賀県南部、伊賀は三重県北西部にあり、山を越えれば意外なご近所同士らしい。戦国時代などには、両衆が連絡をとりあったとか。ただ、信長による伊賀鎮定のあと、経済規模が大きく人数が多い上に、時勢の中での立ち回りが上手な甲賀衆が、伊賀衆を圧倒し、忍者要はスパイ(各藩の情報集めなど)の市場を席巻したと。
 
 司馬は、1978年伊賀上野にまず立ち寄っている。上野城は家康が秀頼の大坂城を攻めたとき、万一敗北した場合に備えて、藤堂高虎に建てさせたもの。5層の天守閣という伊賀のような小国には、立派過ぎるものを造ったと言う。ただ、大坂冬の陣の2年前に完成はしたが、すぐ、高虎はこれを壊させている。ウイキペデイアによれば、大坂城が落ちたので不要になったためとしているが、司馬は、家康側近からの「大きすぎるのでは」とのあてこすりに、高虎が過敏に反応したとしている。なお、写真の天守閣は昭和12年に建てられたもの。
 
 伊賀盆地は隠れ里のようであり、出入りするには7峠(口)があるが、司馬はほとんど交通のない御斎(おとぎ)峠を通って甲賀に向かった。御斎峠は、自身の伊賀忍者を主人公とした長編小説「梟の城」の舞台で、一度行って見たかった場所だそうだ。舛添前都知事ではないが一種の公私混同であろうか。
 
 峠を降りると甲賀の信楽(しがらき)の里である。ただ、売っている焼き物はすっかり俗化して、タヌキ、ガマ、布袋さんの類とか。ここにはかって聖武天皇の紫香楽宮(しがらきのみや)があったらしい。東大寺や大仏を残した天皇だが、生涯で何度も都を変えた人としても有名。奈良からスタートし、恭仁(くに)京(山城木津川)、紫香楽宮、難波京、そして奈良に戻っている。
 
 ところで、ウサギさんは甲賀・伊賀ともに、名を聞くばかりで行ったことはない。おサルさんは、仕事の関係で大津から草津線で甲賀へ行ったそうだ。「ただ、何もないところよ」と。そのせいか、司馬の紀行文も通常の1/3の長さとやけに簡潔である。

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