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2016年6月15日 (水)

十津川街道

Iytremages
 
http://totsukawa.jugem.jp/?month=200901
 
 今日の街道をゆくは「十津川街道」。十津川郷とは奈良県南部に広がる広大な山岳地帯で、十津川という渓流が岩を噛むようにして流れ、熊野川となって和歌山県熊野で海に注ぐ。平坦部はほとんどなく、正に日本の秘境の代表選手。未だに町村合併に応じない十津川村は、広さで東京23区以上もあり、面積日本最大の村である。人口は3500人でこれも日本一の過疎ぶりで、サルの方が多いそうだ。
 
 江戸時代、幕府の直轄地の天領だったが、コメが獲れないので年貢は免除されていた。また、珍しい村民による実質的な自治統治も行われていたらしい。一方、幕末には薩摩藩や長州藩に伍して、十津川郷士が武装して京都御所の衛士を務めている。十津川村民は元来百姓の身分だったが、猟師として弓矢に長け、全村で自分たちは武士だと思っていたと。もっとも維新後、全員が功により正式に士族に認定されてはいる。
 
 「十津川の兵」は歴史の随所に、1000人単位の精兵として出没する。保元の乱、南北朝の乱、大坂冬の陣、天誅組、戊辰戦争など。司馬によれば、いずれも、年貢減免の継続と、他からの干渉を受けない自治の「安堵」を求めた代償行為であったと。だが、明治になってこの「安堵」の例外は認められていない。
 
 明治以降も、この過疎地への道路投資などは遅々として進まず、吊り橋などは、恩恵を受ける地域の住民が自腹で造ってきた様子。電気が初めて引かれたのは1949年と言うから驚く。戦後、10年ほどしてやっと木材ブームがきて、道路整備も進んでこれからと言う時に、今度は海外との競争で森林経営は負けた。
 
 ところで、最大の悲劇は1889(明治22)年8月に起こった。3日間続いた豪雨で山が崩れ十津川は一気にその姿を変え、多数の犠牲者を出した。住む家を失った2600人が、北海道に新天地を求めて集団移住した。幸い、札幌の東北約80kmの原野での開拓は成功し、現在、新十津川町は北海道で最も豊かな地域の一つとか。
 

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