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2016年5月27日 (金)

ニューヨーク散歩

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http://blogs.yahoo.co.jp/okuman779/32429079.html
 
 今日の街道をゆくは、遂に日本から海外にまで出て「ニューヨーク散歩」である。1992年、司馬がニューヨークに行ったのは、親交が深かったドナルド・キーン教授のコロンビア大学定年退職祝賀会で、講演を頼まれたため。なお、NHKのビデオは2000年元旦のニューヨークを映しているが、911直前の在りし日のWTCツインタワーが、NYの象徴として頻繁に登場する。
 
 1621年、マンハッタン島をたったの60ギルダーでインディアンから買ったのはオランダ人。だが、17世紀後半イギリスがオランダを圧倒して、マンハッタン島の領有を宣言して王弟ヨーク公の領地となり、ニューヨークの名が付いた。その後、19世紀後半に大量の移民が大西洋を渡って来た。アイルランド人が多かったが、ライバルの黒人を目の敵にしたと言う。
 
 マンハッタン島とイースト川の東岸のブルックリン地区をつなぐ、長大なブルックリン橋を設計したのはドイツ人移民のジョン・ローブリング。つり橋は1867年以来ワイヤーロープの強靭さに支えられていると。橋を渡ると、ウイリアムズバーグ(写真)に出る。ここはユダヤ人街で有名である。ユダヤ人は各地で迫害を受けてきたが、特にロシアではポグロムというロシア語が世界語になるほど酷かったと言う。日露戦争のとき、ロンドンの金融市場でユダヤ資本が日本外債を買ったのは、ロシアのポグロム憎さだったと。
 
 アメリカはかように移民で持っている国だが、司馬によれば、異民族の共存が文明を生む。世界にアメリカに代わる国は見当たらないと。また、ブルックリンの共同墓地にタウンゼント・ハリスの墓を訪ねている。初の駐日総領事で、下田で日米通商条約を締結した人。アメリカでは名は知られていないそうだが、NYの高校の名に残っているらしい。
 
 ところで、今回の訪米の目的である日本学の世界的な研究者、ドナルド・キーン教授と、キーンの先生であった角田柳作教授の話が延々と続く。2012.4.27の旧じょうで記(非公開版)で、たまたま、キーン氏の紹介をしているので参考に載せる。
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 英語通信教育の教材で、ドナルド・キーン(1922--)のインタビューを聞いた。母子家庭で育ち学費に困ったが、奨学金を得て飛び級を繰り返し、16歳でコロンビア大学の文学部に入学した。18歳のときNYの本屋で、部が厚い割に非常に安い本を見つけ、買ったのが源氏物語で、以降日本に取り付かれた。
  
 日米開戦で海軍の日本語学校に入学し、翻訳に従事したが、日本語のトラクターの操作書などで、死ぬほど退屈した。ただ、戦死した日本兵が肌身離さずに持っていた日記で、人知らぬ日本人の心情を知り、ますます日本が好きになった。
 
 三島由紀夫は大の親友でお互いに理解しあってきたが、何故あのような自殺を遂げたのかは、未だに理解できない。ただ、彼の文学の価値とは無関係である。
 
 最近、日本の国籍をとった。動機は些細なことだが、「戻った」と「帰った」の違いに気が付いたこと。アメリカから日本に帰ると、日本人は必ず、「戻られたのですか」と言い、「帰られた」とは言わない。つまり、「帰った」は外国人には使わず、日本人に対して使う。自分は顔はたとえ外国人でも、「帰った」と言われたかったと。
 
 2008年文化勲章受賞。外国出身の学術研究家としては初。雅号の鬼怒鳴門(きーん どなるど)は、鬼怒川と鳴門を組み合わせて作った当て字のよし。(写真はウイキペデイアより)

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