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2016年5月12日 (木)

本所深川散歩

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 今日の街道をゆくは「本所深川散歩」である。本所深川は本来下総の国であり、武蔵国である江戸とは、隅田川を隔てて別領域であったが、1661年両国をつなぐ両国橋が隅田川に架けられて、本所深川は大江戸の市域に入ったと言う。ウサギさんは、通勤通学を含めて人生の5割は東京に通った勘定になるが、浜っ子のせいか、隅田川より東の土地勘はないに等しい。
 
 そこで、本所深川の位置を自分なりにマクロに特定する方法を考えた。ほぼ南北に流れる隅田川を縦軸とする。次に秋葉原駅・浅草橋駅から隅田川を超え、両国駅・錦糸町駅へ東西に走るJR総武線を横軸とする。ただ、隅田川の東の部分では、総武線の少し南を並行する首都高速7号線を横軸にとる方が正確である。
 
 数学みたいになるが、この縦軸・横軸で出来た4象限のうち、第1象限(東北)は墨田区で本所が位置し、第2象限(東南)は江東区で深川がある。ちなみに、第3象限(南西)は日本橋がある中央区であり、第4象限(北西)は浅草の台東区である。
 
 世界の都市で江戸ほど火事の多かった都市はないらしい。従って、江戸時代材木問屋は巨大化した。深川と言えば木場(貯木場)であり、深川は大いに繁栄した。吉原とならんで遊里でも名を成し、一種の男装の羽織芸者を呼ぶ「おきゃん」の語が生まれたと。ただ、水害対策で木場も埋め立てが進んで、1969年荒川河口の新木場に移転するに至る。
 
 落語好きな司馬は、落語にも登場する様々な職人などを紹介する。筏師のことを深川では「川並」と言うらしいが、元川並であった人を訪ねている。また、鳶の頭とも歓談したが、深川の風俗などは深川江戸資料館(写真)でも詳しく分かるらしい。なお、三代将軍家光のころ建てられた富岡八幡宮は、大相撲発祥の地である。
 
 さて、本所だが、NHKの街道をゆくシリーズでは何故か本所をカットしている。本所の江戸化は1657年の明暦のふりそで火事から始まったらしい。江戸城の天守閣が焼失し、10万人以上の焼死者を出したが、その教訓から多くの火除地を設定し、大名などの屋敷地を移転させた。そのために本所が開発されたと。本所には、赤穂浪士の討ち入りで有名な吉良義央の邸があり、勝海舟や芥川龍之介も本所生まれである。回向院には、鼠小僧次郎吉の墓までがある。
  
 

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