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2016年4月 2日 (土)

近江散歩

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A6%E6%A0%B9%E5%9F%8E

 今日の街道をゆくは「近江散歩」である。近江は司馬が大好きな土地で、下りの列車が関ヶ原から近江の野に入ると、胸の中のシャボン玉が舞い上がるように嬉しくなると言う。ところで、関ヶ原の近くの美濃と近江の境に、寝物語という妙な地名があるらしい。国境の両側の二軒の間で寝物語ができたとの謂れがあり、実際に現在でも狭い溝を挟んで家が建ち、その溝が岐阜県と滋賀県の県境になっていると。

 寝物語の里から旧中山道を西へ4kmほど行くと柏原へ出る。ここは亀屋の伊吹艾(もぐさ)で有名なところ。上等なもぐさは、北にある伊吹山(1377m)の八合目あたりに自生するヨモギを原料とするそうだ。安藤広重の「木曽街道六十九次」の柏原に亀屋が載っているよし。
 
 柏原から更に西へ10km行くと琵琶湖に出る。ここは石田三成の佐和山城があったところ。早朝からの関ヶ原の戦いで勝利した家康は、夕方、東軍全軍を一休みさせたが、直参の井伊直政だけは休憩を許さず、一気に佐和山を攻めさせた。家康は、勝利後佐和山城を井伊に与え、後年ここに彦根城(写真)を築いて、西国大名への押さえとした。井伊家は明治維新まで彦根35万石の主となったが、中でも幕末の井伊直弼が著名である。特に彦根城は明治天皇のお気に入りで、そのお蔭で城はこぼたれずに残ったと言う。

 彦根の北西15kmのあたりで琵琶湖に流れ込む川が、一級河川の姉川である。ここらの平野一帯が姉川の古戦場と言われ、織田・徳川軍と浅井・朝倉軍が戦ったところ。近くの山上の小谷城の主浅井長政は、信長の妹お市の婿だが、信長軍に敗れた。長政の死までの僅か5年の間に、お市の方は一男三女を生んだ。長女の茶々は淀殿となって豊臣秀吉の子秀頼を生み、三女の於江は二代将軍徳川秀忠の妻として三代将軍家光を生んだ。まさに小谷城の若い夫婦は、血液を持って日本史に参加したと。

 さて、姉川の岸辺に国友の地がある。ここは鉄砲鍛冶の村として有名らしい。種子島に鉄砲が伝来してから、僅か一年後に国友で国産の一挺が誕生している。信長は鉄砲が大いに気に入り、国友へ大量の銃を発注して、その後の歴史を変えたと言う。ところで笑い話のようだが、当時の日本には「ねじ」の概念がなく、鉄砲銃身の後部にある塞ぎ(尾栓)のねじこみ構造が、どうしても分からなかったと。

 琵琶湖の東岸中央あたりに安土城跡がある。信長の天下布武を象徴し絢爛豪華な城だったが、本能寺の変のあと焼失した。司馬が中学生の頃、城址に登った時は三方を湖に囲まれた岬の突端に立った感じだったが、今登ってみると湖は見えない。つまりすっかり埋め立てられてしまったのだ。ここらにあった琵琶湖の内湖の大中之湖は、戦後干拓されたと言う。つれて琵琶湖の汚染はどんどん進み、この紀行が書かれた1983年頃は赤潮が猛威をふるっていたらしい。

 

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