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2016年2月23日 (火)

青森の縄文遺跡

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http://blog.goo.ne.jp/sakag8/e/53992b235b5546971037a6f4f975ccd4

 青森県で発見されたと言う巨大な縄文文化遺跡が、最近、テレビを賑わしているようだ。11月のNHKスペシャル、「アジア巨大遺跡シリーズ」でも放映されたが、今週のNHKアートシーンでも、井浦新が縄文土器を描いた放浪の画家、蓑虫山人(1836-1900)の足跡を追って青森県まで訪問している。

 ところで、またNHKスペシャルだが、司馬遼太郎(1923-96)の没後20年記念として、「この国のかたち」を先週特集したが、司馬遼太郎が「街道を行く」の中で、この青森の縄文遺跡を書いていることを思い出した。ただ、没後20年なのにどうして?と思い、今日、「街道を行く」を図書館から借りてみた。「街道を行く」は全巻持っていたが、家を建て替える際の仮住いのスペース難もあり処分してしまった。今から思えば随分勿体ない事をしたものだ。

 青森の遺跡というのは、1992年から発掘開始された三内丸山
遺跡のことで、青森駅から7kmのところにある。野球場を作る作業中に発見されたもので、写真左のような6本足の巨大な木造建築物跡や、写真右の32mもの大型住居跡が見つかったらしい。500人ほどが集まって住んでいたと見られ、発掘された縄文土器の質・量は、関西などをはるかに凌ぐそうだ。従来の集団をつくらないとされた狩猟石器時代の概念を覆す世界的な大発見だと。司馬遼太郎は亡くなる直前の1994年に訪問した様子。
 
 「街道を行く十四」の「北のまほろば」は、青森県の訪問記だが、この中で三内丸山遺跡を取材している。紀元前1万年ー2千年のころは、この地方は自然に恵まれて、人々は信じられないほど豊かな生活をしていたに違いないと。山には木の実が豊富で、海では魚介が簡単に獲れ、サケ・マスは河を遡ってくる。ただ、何故、この文明が急に消えてしまったのか分からないそうだ。言えることは、その後の稲の普及による弥生時代以降は、稲が寒冷地の気候に弱く、5年に一度は凶作に遭遇してきたのが原因ではないかと。

 一方、津軽地方の西南部に亀ヶ岡遺跡と言うのがある。江戸時代初期に津軽藩主が亀ヶ岡城を築こうとして、縄文時代晩期の多数の遮光器土偶(目玉が大きい)や土器を発見した。これらは大変に好事家に喜ばれ、1万個以上がオランダなどへ流出したと言う。前述の蓑虫山人もこの土器などを愛し、津軽に長く住んで多くの素朴な絵を残した。土器だけでなく、発掘の様子なども描いたので、貴重な記録にもなったと言う。
 

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